施餓鬼寺と埼玉
埼玉には関東三大施餓鬼と言われる3つの施餓鬼がございます。杉戸・永福寺の「どじょう施餓鬼」、秩父・四萬部寺の「川施餓鬼」、さいたま市・玉蔵院の「大施餓鬼」です。
永福寺には、古来から「龍燈山伝燈紀」という寺歴を記したものがあります。その伝来によると開山は行基菩薩(ぎょうきぼさつ)で、庶民を教化し阿弥陀仏を作られ、本尊とされました。51世は日尊上人でありますが、その父因幡前司藤原長福朝臣は、貞治(じょうじ)元年(1362年)高野浅間台に高野城を築き、田宮庄近郷を領していました。
長福は後に酒食遊芸におぼれ、非道な行いがありました。その子日尊上人(幼名は藤王)は、父の乱行を憂い、仏門に帰依して比叡山に登り修行しました。その後高野に帰り、阿弥陀寺を建立しました。 一方、父長福は乱行の後ついに狂死しましたが、ある日暴風雨が襲来して、長福の墓所のあたりは流出し付近一帯は池となったため、人々は悪行の報いであるといい、“因幡が池”というようになりました。 日尊上人はある時えん魔大王のお告げを受け、亡父が地獄に落ちていることを知り、大王から伝授された施餓鬼の秘法を修行しました。そしてある夜、龍燈が現れ、十万を光照らし、亡父長福をはじめ、無数の亡霊が蓮の葉に乗っているのを見て、人々が驚嘆したといいます。これが「えん魔王の示す日尊の偈(げ)」というもので、現在も当寺に伝わっています。