大施餓鬼(どじょう施餓鬼)についてのご紹介です。

永福寺・大施餓鬼・どじょう施餓鬼について掲載しております。】

永福寺の大施餓鬼「どじょう施餓鬼」

● 高野永福寺 大施餓鬼 ( たかのざんえいふくじ おおせがき ) のいわれ

永福寺の大施餓鬼は今から約600年前、 明徳 ( めいとく ) 3年(1392)7月23日にさかのぼります。
時の 高野城主長福朝臣 ( たかのじょうしゅながとみあそん ) という殿様がおり、彼は政治をおこたり酒におぼれ目の見えない人や、足の悪い人、鎌倉街道を通る人などを殺してしまいました。

このため殿様の奥様はこれを深く 嘆 ( なげ ) き、子供の藤王を 訓戒教育 ( くんかいきょういく ) して 比叡山 ( ひえいざん ) へ上らせ、その後、自らは自害してしまいました。
数年後、藤王は名前を日尊上人と改め 高野城 ( たかのじょう ) にもどり父 長福候 ( ながとみこう ) を 諫 ( いさ ) めて 阿弥陀寺 ( あみだじ ) を再建させました。 阿弥陀寺落慶 ( あみだじらっけい ) の折、長福候は落馬し一中夜苦しみ続け亡くなってしまいました。




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日尊上人は父の死相の凶悪なることを嘆き17日間の 断食 ( だんじき ) を行いました。そして 成満 ( じょうまん ) の日に 悶絶気絶 ( もんぜつきぜつ ) してしまいました。
介抱すれどもただ左の小指だけがかすかに動いていました。翌朝、上人こつぜんとして起き上がり皆に告げて言いました。

「私は気絶している間、 閻魔大王 ( えんまだいおう ) にお逢いして父の地獄の様子を見てきました。その様子は見るにしのびず、日をおおうばかりでした。」

上人は大王に 得脱 ( とくだつ ) 方便 ( ほうべん ) を聞きました。すると大王は施餓鬼の秘法と 偈 ( げ ) を教えて下さいました。




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上人は即日100人のお坊さんを 因幡 ( いなば ) の 池畔 ( ちはん ) に集めて父長福候及び 三界萬霊 ( さんがいばんれい ) のために、明徳3年7月23日に大施餓鬼を行いました。
すると龍が現われ、長福候を初め 成仏 ( じょうぶつ ) 出来ない人々が龍に乗り 極楽浄土 ( ごくらくじょうど ) へと旅立って行きました。
それ以来、約600年の間、龍燈山永福寺では一回も途絶えることなく、関東三大施餓鬼寺のひとつとして大施餓鬼が行われています。

 どじょうが龍に似ているところから龍にたとえられ、どじょうの背中に乗ってご先祖様が極楽浄土へ旅立つために、どじょうを池に放しています。

龍燈山 永福寺について

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